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- 2020.06.01 Monday
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体を大地と喩えて捉える視点を時折模索しています。
農産物は大地からの恵みですが、美味しい農産物は豊かな土から育まれるものです。
“健康”は、豊かな体から育まれた産物として捉えることができるのではないか、と思うのです。
例えばトマトを例にとってみましょう。
トマトの樹の根元を支えるのが大地です。肥料や農薬を与えることで、一定の果実(トマト)はできるでしょう。
その過不足で、質の良し悪しが生まれますが、優秀な農家ほど、肥料や農薬以前に土作りの重要性を訴えられているように思います。
まずトマトの樹(=体)をしっかり作れなければ、余剰や次世代として産み出す果実(=健康)は美味しい(=健全)ものにはならない、と言われるのです。
人間も自然の一部。
自然の動きや摂理から、人間の体や健康について学べる視点を持てるようになりたいと考える毎日です。
食事内容に気を付けよう、という投稿をしました。
来院された患者様より、具体的には?とお伺いを頂きましたので、概略をご説明したいと思います。
何と言っても大事なのは、食べるという作業は、案外、胃腸の負担になるということを意識する、ということです。
食べなきゃエネルギーが湧かない、と思っている人は多いと思います。
そんなことはありません。
現代の日本は、飽食と言われるほどの時代です。通常の食生活を送っていれば、ある程度 食べなくても、エネルギーが無くなることはありません。
でも実際には、エネルギーが湧かなくなるような感じはあるかもしれません。それは、食べないからエネルギー不足になるのではなく、体の巡りがしっかりしていないからなのです。体や胃腸が疲れていて、エネルギーを体に巡らせることができないために起こる症状です。食べないからではないのです。
食べるということは、案外、胃腸を疲れさせるものである、ということは頭の片隅に入れておくとよいことだと思います。
シマトネリコ。6年ほど前に「みずほの村市場」さんで980円で鉢で売られていたものを定植して3年半くらい経ちます。
白く見えるのは花。この場所が気に入ってくれたのか、すごく元気です。
口や歯は、消化器官の入り口です。
ですから、消化機能が疲れてくると、唇周りや口腔内、歯や歯茎等に何かしらの影響が出てくることがあります。
歯が疼くことがあったり、冷たい飲食が浸みるような感じを覚えたことは、誰しも経験したことではないでしょうか。
虫歯かな?と思ってしまいますが、翌日になったら気にならなくなっていて、そのまま忘れ去られていって・・・、という経験も、あるのではないでしょうか。
歯が痛んだり疼いたりしたら、虫歯を疑うのは当然だと思いますが、実は胃腸が疲れていることが原因であることもあります。
こんな時は、疲れているのだから胃腸を休めるのが一番です。
・量を減らす(いっそのこと抜く)
・負担を掛ける食事をしない
“何を食べれば良いか?”ではなく、“何を食べないようにするか?”の視点で食事を見直すことが大事だと思います。
食事に関する注意については、また別の機会に。
庭のアジサイ。2年前の2月に友人宅から移植したものですが、非常に元気。道行く人も、眺めてくれるから、きれいになってくれたのかな?
『人生フルーツ』を観て・・・。
主人公の津端ご夫妻は、90歳と86歳。かくしゃくと、日々の暮らしの中で体を動かしておられる。
できるものから、小さく、コツコツ
ときをためて、ゆっくり
その言葉通りに、庭のあちこちに人の手を感じる映像に溢れてた。
一年を通して、手を加えたいところがたくさん、あるんだろうな、と思う。
それを果たすべく、体を動かしてこられたから、卒寿を迎えられても健康でいらっしゃるのだろうな。
体は使わないと衰える。使っていれば、維持されていく。
そんな暮らし方をしていきたいものだな、と思いました。
土を触り、竹を加工し、家に手を加えていくようなことをしていたら、僕も90歳まで生き生きと過ごしていけるだろうか?
目指したいものです。
そういえば、『人生フルーツ』が上映されていたポレポレ東中野にはカフェが併設されていて、お昼はそちらで頂いたのでした。
きどらず、きれいな味の野菜たち。味付けもさっぱりしていて、良かったな。
独立系の小さな映画館である「ポレポレ東中野」に行ってきました。
観る予定とは別に『新地町の漁師たち』という映画が上映されていることを知りました。
福島県相馬郡新地町には、震災で被災された方々への施術ボランティアで出掛けた場所でした。
元々住んでいたところから数kmほどしか離れていない場所に設置された仮設住宅にお住まいの方に施術してきたのでした。
期間中に寝泊まりできるところを確保して頂いたり、夕飯を頂いたりと、何かとお世話になったご家族が新地町の漁師さん一家で、稼ぎ頭の兄ちゃんは僕と同い年でした。
映画の予告編に出てきた新地町の港風景は、津波の傷跡を案内して頂いた場所でした。
スクリーンの中で漁師さんたちが吐露していた言葉は、現地で僕も聞いた言葉でした。
自然災害はともかくとして、放射能汚染に悩まされるなんて、それもいつまで続くか分からないなんて、そんな理不尽な仕打ちってあるのでしょうか?
僕の会った漁師さんは、本当に誇りを持って仕事に臨まれていた。
その誇りを汚していることを、電気を使う向こう側に感じたいと思ったものです。
この映画を撮られた監督さんは、ちょうど僕らが滞在していた前後にいらしていたそうです。
地元の人とも、だいぶ打ち解けていた感じでした。尊敬します。
その敬意も含め、今度はこの映画を見に来なきゃなぁ。